スカーレット78話の感想です。
ジョージ富士川
喜美子が悩みなどを打ち明けてジョージ富士川が有益なアドバイスをするというような展開もあるのだろうかと予想していたのですが、そういうのはなく、彼に触れて喜美子たちが刺激を受けるという流れでした。確かにこういう才能や力に溢れる人に会ったときって、言葉がなくても感じるものがありますもんね。
「自由は不自由や。不自由の先に自由がある」
自由と不自由は繰り返しなのかな…私にはよく分からないところですが、何かに一生懸命でもがいている人ほどこの言葉が響くのかなと思いました。
照子の人生
私はこの時、なんとなく照子の人生を思いました。
女性でも警官になれる、なりたい!と思っても、家の事情で許されなかった。恋愛結婚でもなく、家にとって良い条件のお婿さんをとって丸熊を継がないといけないと不自由を科された。けれどその先には、その人を心から愛し、愛しい子どもたちにも恵まれた。
一度は不自由だと思った照子の人生には、大事なものがたくさんあります。今の照子が不自由を感じているのか自由を感じているのか分かりませんが、お手伝いさんを雇って自分の時間を作ることもできて、「子どもの洋服が汚れることなんて気にしなくていい」とあっけらかんと言える心の余裕や楽しみや可能性を知っている。他のお母さんたちから見た照子は自由を持っている人なのかもしれません。でも、子育てもしているし、旦那様は社長で気苦労も多いし、やっぱり何かしらの制約や苦労の中で生きているのも事実だろうと思うので、まさに「自由ってなんだろう、不自由ってなんだろう」って感覚。
ほな自由ってなんやろうな
「自由は不自由や。で不自由の先にまた自由がある。ほな自由ってなんや」
「自由は不自由や~!」というセリフだけを聞いていた時は、キャッチーなフレーズを言っているだけに思ったけど、この言葉には彼自身の悩みや人生観などがいっぱいつまっているのかもしれないですね。考えれば考えるほど答えなんてないのかもしれないですね。答えなんてその人にしか分からないのかもしれないし。ジョージ富士川自身もまだ答えなんて見つかっていないのかもしれない。成功しているように見える人も、自由にやっている人も、一生懸命な人は皆なにかをずっと悩み続けているのかもしれないな、と思いました。
お父ちゃんの存在
直子が感じた「これからは自由や」も、そんなことを考えたこともなかった喜美子も、これからどうなっていくんでしょう。「急に自由に描けっていわれてもわからへんよな」とジョージ富士川に言われた喜美子は、父親がいなくなって「これからは自由や」と言われてもどうしたらいいか分からない喜美子の姿でしたね。
川原家が、存在が圧倒的だった父親の言う通りに生きるしかなかったのも現実でしたからね…賛否両論あったお父ちゃんの存在がこんな風に描かれるとは…。あの父親を「家族への愛はあるんだからこういう父親だって素晴らしいでしょ」と全面的に肯定しているわけではないのがスカーレットですね。でも全面的に否定もしていない。ただ「そういうお父ちゃん」なだけ。
スカーレットは現実にそこらへんに普通にある問題を淡々と描いているのかな。だから受け手の人生観によっては非情なほど突き刺さってしまうのかも。
泣いていなかった喜美子
そうか…喜美子はちゃんと泣いていなかったのか…喜美子には八郎さんがいるから、勝手にちゃんと泣けた(八郎さんが抱きしめてくれる)と思いこんでいました…。そうか…。ちゃんと泣くことって大事ですよね……。
最後の頭ポンポン
昨日あたりに「お父ちゃんの頭ポンポンは「長女やからって無理させてすまんかったな」という意味だと思う」と書いたのですが、今日の放送を見て、あ ちがうかも と思いました。
「すんまかった」じゃなく、「あとは頼むで」かもしれないと。「お母ちゃんのこと、百合子のこと、直子のこと、武志のこと、頼むで」かもしれない。お父ちゃんは最後まで長女の喜美子に頼っていたのかもしれません。
喜美子にとっては当たり前のことで、でも一種の呪縛のようなものなわけで。だから、八郎さんの前ですら喜美子は今までちゃんと泣けなかったのかもしれない。だけど今日 喜美子が流した涙は、「私は自由を奪われてた」とか「いつも姉だからって責任ばかりで」とかじゃなく、純粋に お父ちゃんがいなくなって寂しい気持ちの涙だったと思います。
あのお父ちゃんの存在はやっぱり良くも悪くも、とてつもなく大きい。
八郎さん
八郎さんが、喜美子が泣いているのでは…と思って駆けつけたことに驚きました。百合子の話を聞いて、喜美子はむしろちゃんと泣いていないって気づいたんですね。
受注品を仕事で制作するのではなく、自分の作品を作ろうとして自分と土が向き合うその時こそ、自分の想いが溢れるのかな。八郎さんだから気づけたのかなと思います。こんな繊細なことに気づいて駆けつけてくれて、抱きしめてくれる。こんないい旦那様はそうそうおらんで~!!!と、やさしさに感動しました。
このブログ読者様の中には、八郎さんと喜美子は離婚するのでは説を予想されている方も結構いらっしゃるのですが、そういう展開は考えられないほど、八郎さんと喜美子はちゃんと夫婦やん!と思いました。そういう展開はやっぱりナシでお願いしたい…(でも私のあの説は当たると自分では今の所思ってますが……)
八郎さん、ちゃんと賞をとりましたね。さらっと取ったけど、すごいことですよね。八郎さんが実は熱意をなくしていて……という予想も書きましたが、それは大はずれでした(笑)喜美子に「自分の作品つくり?」と勧めるところを見ると、「喜美子の才能が開花してすれ違って」的な予想もはずれるんじゃないかな~と思います。やっぱりもう…私がもともとしていたあの説しか当たる予感がしない…(次週予告で「僕と喜美子は違う人間やで」は、夫婦仲の亀裂ではなく、作品づくりに対する叱咤的なセリフではないかと予想中)
他。読者さんのご意見など
ちなみに喜美子の初の作品は、集合体に恐怖心を覚える私はちょっと「ひっ…!」と思ってしまった…(笑)
読者さんのYUKIさんが「父からの解放がなければ喜美子が自由に作品を創るきっかけにならなかった」とおっしゃっていました。ほんとですね…!!この的確なお言葉、私の中からは出てきませんでした。ありがとうございます。仮に喜美子がずっと自由に生きてきていたら、父の死にはこういう影響はなく、喜美子の人生はまた違っていったかもしれませんね。あのお父ちゃんの死は、本当にひとつの転機になるわけですね。それでも、喜美子の大泣きはやっぱりそこに愛がちゃんとあったことを表していたので、肯定も否定もしていないと思います。否定も肯定もしないって現実世界でもすごく大事なことじゃないかなと思うので、なんか…ありがたいです。
ちなみに読者さんのSABOさんも「大好きな親であると同時に枷でもある、父親がここまで描かれるのは凄いですね」とおっしゃっていました。ほんとに…こんな父親像を描くってすごいですね。脚本も演者さんも…。
あ、最後 作品づくりの時に喜美子が首に手ぬぐいをまいてたんですけど、あれってお父ちゃんのなのかなぁ…?喜美子が大阪に持っていかされた手ぬぐいとは違うようでしたが…最近お父ちゃんが使ってたやつでしょうか…?気になるけど今日のところは録画を見返して確認する時間がないので、つぶやくだけにしておきます(笑)
武志の発熱
あと、武志が熱を出して喜美子がイベントに行かなかったことについて、メッセージでご自身の経験を聞かせてくださった方がいらっしゃいました。そのお話を聞いていて、「私の発言 配慮がなかったかな」とちょっと反省いたしました。
イベントにいかなかった喜美子を「母親らしくなってる」と表現しましたが、お仕事の関係などで「看病してあげたくてもできない」という苦しい思いで仕事に行かれるお母さんもいらっしゃいますよね。「看病することが母親らしい」と取れる発言をしちゃって、反省しています。その方は別に私を責めていらっしゃるわけじゃなく、経験をお話くださっただけなんですけど、私が個人的に反省しました。
私が言いたかったのは、たまの自分の楽しみを断ったりしたり用事に向かったとしても心配でたまらなくて苦しかったり、そういういろんな姿・気持ちがお母さんらしいと感じる…ということでした。私は子育てしていないので、私にはこういう苦しみはほぼないです。自分の予定を取りやめようが子どもを誰かにあずけようが、きっとお母さんはどちらにしても複雑ないろんな感情を抱えて日々を頑張っておられるんだろうと思うし、お母さんという存在は本当にすごいなと思います。そういう部分が見えて「喜美子が母親らしくなった」と感じました。もしかしたら読者さんの中に「そういう言い方されたら看病できない母親を否定された気になる」と感じられた方もいらっしゃるかもしれません。決してそういう意味で「母親らしい」と言ったわけじゃないことはご理解いただきたいなと思ったので、改めて書かせていただきました。(ちなみに…あんまりこうしてお母さんはすごい ばかり書くと、「父親は?」「父親だって同じように子育てを」という議論になるのかな…汗。お母さんだけが育児するということを推奨しているわけでもないです、念のため…)
ちょっとだけ拍手お返事…
Fさん…Fさんも喜美子と似た責任感の強い方なんですね。お話をお聞きして、Fさんは優しい人なんだなと思いました。聞かせてくださってありがとうございます。
インタビュー
最後に、スカーレットの公式HPに北村さんのインタビューが載っていました。もう…「お父ちゃん」のすべてを、演じられたご本人が一番上手に言葉にされていると感じましたので、ぜひ読んでみてください。北村さん自身が考えた演出もあったようで、驚きました。北村さんが、お父ちゃんと真剣に向き合って演じられていたことも伝わってきます。
(これを読むと、「頭ぽんぽん」は「すまんかったな」でも「あとは頼むな」でもなくただの愛情なのかも…と思ったりもします。でも、百合子にはせず喜美子だけだった…というところに、私はお父ちゃん自身も意識していないメッセージを感じずにいられない)
今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。昨日の記事にも拍手&メッセージをありがとうございました。ひとつひとつお返事ができませんが、すべてちゃんと読ませていただきました。ありがとうございます。年内の放送はこれでラストですね。ブログは、簡単なものにはなるかと思いますが何かしら更新するつもりですので、年末のご挨拶はその時に。良かったら冬休みも時々見にきてください☆ではでは、今日はこのへんで。
コメント
「自由は不自由や」私は設計の仕事をしてるので、白い紙を前に何もできない喜美子が自分に見えました(笑)「好きなように設計してみ」上司は言いますが、最初の一歩がものすごく難しい。これだ!って思うと後はいろいろ涌いてくるけど。なので「不自由の先に自由がある」ってそういうことかもな~なんて思いました。
喜美子と八郎さん、想いあってるけど、それ故にすれ違うのかな?って気がしてきました。陶芸家で妻で母で、そういうのが喜美子を苦しめるんじゃないかって・・・でも、八郎さんが金賞取って、なんとなくいい感じ?で来年へ続く、ですね(笑)
色々気になるシーン、私の思いもあるんですが、やはり喜美子の涙と、それに気付いて駆けつけて抱き締めてくれた八郎ですね。
喜美子がちゃんとお父さんの死を受け止めて泣けていなかったことに、私も気付いていませんでした。それくらい周りのことが優先な子だったんですね。
多分、八郎ですら、そうだったんじゃないでしょうか?
あの、それに気付いて、駆けつけて抱き締めるシーンは、胸が熱くなって涙が出ましたね。
はい、この二人は絶対に考え方の違いで、すれ違ったりして別れるようなことは無い、そう確信しました。
いそまるさんもそう思われましたよね?
夫婦って不思議なもので、血縁関係も無く、育った環境も違うし、相容れない事が多いのも事実。でも離れないし離れられない、気持ちだけで繋がっている関係。
勿論、人生設計のパートナーでもありますけどね。
夫婦じゃないと分かり合えない感情があること、ああいう風に抱き締めてあげられること。
やっぱ夫婦というのは、かけがえのない人間関係だなと再認識させてもらいました。
こうなると、夫婦が別れるというのは、死が二人を分かつ時…と結婚式で神父さんが言う、その時しかないんだろうなぁと。
でも、考えてみてください。
それは誰にでもあることなんですよ。それが早いか遅いか、どちらが先かの違いがあるだけで。
長文失礼致しました。やっと仕事納めで、ほっと一息でしたので。
るんるんさん
カタカナのジョージが喜美子に「自分で決めること」を体現してくれましたね。喜美子と八郎さんはどうなっていくのか…心配ですね。ちょうど年末年始のひとくぎりで、喜美子が初めて自分の作品を作るという流れは良かったです。八郎さんが実際に金賞とるとは思ってもなかった(笑)ので驚きました。一応、幸先の良い一区切りになりましたね♪
ひとしぃさん
八郎さんが駆け付けた時は本当に驚きました。私もあのシーンを見たら、すれ違い展開はない…と思いましたね。
夫婦って特別ですよね…ほんとに。血はつながってないんだから、離れようと思えば離れられる他人ですもんね。
そうなんです。私も最近、夫とのこの日々がいったいいつまで続けられるのだろうと毎日のように考えています。
自分が健康でいられるのはいつまでなんだろうか、夫が………そんなことを考えてしまうと、生きるのが怖くなります。大事なものがあると、怖いことが増えますね。
仕事納めお疲れさまでした。冬休みはできるだけごゆっくりなさってください。