スカーレット106話 8年が語られる

スカーレット106話の感想です

空白の8年

年老いたお母ちゃんが好きな「めでたしめでたし」の話として、この8年が語られました。

ちや子さん、喜美子のことを婦人雑誌に取り上げたんですね。まずは「同じ女性が男社会でこんなに頑張ってますよ!」「ええ作品ですよ!」ということを同性にアピール、やったんですね。

お母ちゃん

年老いたお母ちゃんの存在が…切ない……病気で早くに亡くなってしまうのも悲しいけど、この「老いを受け入れる」ということのむずかしさを、個人的に最近よく考えています。「カーネーション」の時もそうでしたが、きれいごとだけじゃないこの物悲しさや寂しさを表現しようとする朝ドラが時々ありますね…けど、こういうことをしっかり描こうとする脚本家さんは、「生きる」ということを 心が痛むくらい真剣に見つめているように感じます。

お父ちゃん

お父ちゃんは夢枕に出てきたんですね。「でかした!喜美子!」と大喜びだったそうで…。お父ちゃん……八郎さんと喜美子に「喧嘩すんなよ」と言い残したのにな……。

ほんまは高校にも大学にも行かせてやりたかった…と、お父ちゃんがあの温泉旅行で語っていたことが明らかになりました。あんだけ若い頃から「女に学問はいらん!」と言ってきた人だから、「女に学問はいらん発言は嘘だったのか!」…とは私は思いませんでしたが、死を意識した時期にいろんなことを振り返り、ずーっと心のどこかにはあったモヤモヤを初めて言葉にしたのかなと思いました。本当はこうすべきなんだろうと この方がいいのだろうと思っても、してあげられなかったこと。してあげられないと自分が一番分かってたから、「女に学問はいらん」と言い続けるしかなかった。あの時代を生きたお父ちゃんの生き方でしたね。

八郎さん

今日は八郎さんのことは一切語られませんでした。びっくり…。あの「うちは陶芸家になります」を決別の言葉として、想像しろ…ってこと…??どうだろう…さすがにそれはないかな…まだ今週は残ってるので明日・明後日で語られるかもしれませんね。

武志

武志がええ子で良かった……おばあちゃんに優しいところ、何回おばあちゃんが同じこと言っても聞いても優しく付き合ってあげるところ。も~こういう姿を見せてくれるだけでホっとします。

武志は陶芸家になりたいのかもしれませんね、でも 喜美子を見て来たらから、「なります」って言ってなれる世界じゃないことをすでに苦しいほど知ってるから悩んでるのかな

百合子と信作

百合子と信作の子はふたごちゃんでしょうか?武志お兄ちゃんに絵を描いてもらいながら ぶつぶつとなんか言ってる姿が「素」ぽくてめちゃくちゃかわいかったです(笑)

信作が武志に持って来たものはなんでしょう。進学の資料とかそんなんでしょうか。アイドルの写真集的な発言は多分 武志のための嘘ですよね?嘘だとしたら…信作が相変わらず空気読めて優しくて泣けます。

拍手お礼など

読者さんのYUKIさんが「 私は今一つ、八郎さんが「女や」言った事と穴窯止めろと思ってる事と夫婦でいられない事がつながりません」とおっしゃっていました。

その感覚分かります。私も感覚で感じ取ったような状態で、なかなか言葉で説明しづらいなと思っていました!YUKIさんがおっしゃった「音楽家になると言ったら夫は反対するかも」のその線引きが分かりやすいと思います。「音楽教室をひらくのはいいけど、音楽家を今から目指すと言われたら夫として反対する」、それは夫さんの中になる育った環境や価値観や感性や想像力によって生まれる線引きだと思うんです。結局は八郎さんのその線引きが、喜美子を抑え込もうとし、喜美子はもうそんなものに抑え込まれる気持ちはさらさらなくなった(爆発した)ので、夫婦としてはいられなくなった(あまりに感情が食い違い、お互いの「優先すべきもの」が変わってしまった)ということだと思います。

八郎さんの想像を超えた

ただ「でも、そもそも「才能ある」とか「やりたいことはやるべきや」とか背中を押したのは八郎さんだったじゃない?」という疑問が浮上します。そこは私は簡単にいうと「八郎さんは凡人の域を出なかった」の一言に尽きるかなと個人的には思っています。昨日の記事に「狂ってないとできない」という言葉を書きましたが、芸術家・陶芸家というものが ここまで狂う ということを、八郎さんは想像できてなかったのではないかと。「才能があるから金賞をとって世間に認めてもらおう」とか、そういうセオリー通りに「陶芸家になる方法」は知っていて、実際 自分はそれで陶芸の街で「先生」と言われる存在になったから、狂気じみた人たちの心やそういう人が作り出す世界を想像もしなかった。

それから、喜美子の中にそこまでの熱いものが潜んでいたことも想像できなかった、同時に八郎さんなりに想像はしていたが想像を越えていた のだと思います。これは、八郎さんと喜美子が最後の穏やかに縁側で話した「結婚して10年たっても 知らんことあるな」が言い表してる部分です。

「古風なところがある」

あと、2人が出会ったころ八郎さんは「僕はそういう古風なところがある人間や」と言っていました。これも結構 八郎さんという人を判断するうえで重要なセリフだったなと思います。理解がある夫のように「喜美子には才能があります」「穴窯やりたい言うたのは喜美子ですから」と言いながらも、本当は古風な感覚を誰より持っている。「いや、こんなにお金かかるなら無理だ。セオリー通りに進むべきだ。喜美子がやろうとしていることは常識から逸脱しているよ、無理だよ、現実的に考えなさい、やめなさい」と言い、自分が知っている陶芸家の枠に喜美子を抑えこもうとした。それが八郎さんにとっては正しい陶芸の道だったから。同時に、今まで喜美子が勝手に八郎さんの十歩も二十歩も後ろに下がってついてきていたから出さずに済んだ「妻なのだから、夫の僕がだめと言ったら従うべきだろう」というような古風な感覚も湧き上がってきたのかなと思います。(照子が「夫があかんということをやるのは悪いことや」と言っていたのも、大阪のような都会ではない信楽ではまだまだそういう古風な考え方が根付いていることを表していました)

「危ないことはせんといてほしい」というのもひとつの本音だと思いますが、本当に心配なら危なければ危ないほど自分がついてあげればいいはず。それをしないということは、「危ないことはせんといてほしい」というのは体の良い言葉なだけで、本心を要約すると「僕の言うようにしておきなさい。なんで分からへんのや」だったと思います。

私はこれらのことで食い違いすぎたので、夫婦関係を継続できない2人になってしまった、と思っています。長々書いちゃってごめんなさい…あくまで私の感覚です…。

喜美子の作品を見て

あと、先週流れた予告で、八郎さんが喜美子の作品の前で泣いているようなシーンがあったように思います。あれは「陶芸家の狂気に圧倒された」シーンなのではないかと予想しています。自分の枠に妻を抑えこもうとしてたし それが正しいと思いこんでいた。けれども 妻はその狂気を作品にすることに成功した。これがほんまもんの陶芸家か ということをまざまざと見せつけられてしまったのかなと。

価値観

そうだ、喜美子が草間さんに穴窯の話をしようとした時に八郎さんが「なんで穴窯の話?お詳しいんですか?」と聞いたのも、人の価値観を表しているなと思いました。八郎さんは「興味ない人に話してどうするの?」と思ったんでしょうね。真面目ですから。この辺も、喜美子と八郎さんの感覚は随分違ってましたね。(それを受け入れる草間さんも、八郎さんとは違う価値観である)

あと、サメジマくんが電話で直子にプロポーズした時も八郎さんだけは「そんな大事なことを電話で」とこだわっていたんですよね。八郎さんの中に古風な価値観が根付いていることは、結構何度か描写されてきてました。(あ、でもそう考えると、できちゃった結婚を怒ろうとしたのを止めたのは八郎さんでしたね。でき婚なんてこの時代はますます「あかんこと」やったやろうに。うーん。自分で書いててちょっと混乱してきました。苦笑)

喜美子は変わった?

TOSSさんは「東京での出展もやめようって言ってた喜美子がなぜいきなり猪突猛進になったのか」という疑問をお持ちでしたが、あの時 喜美子にとっては「いい作品を作るために八郎さんには時間が必要でしょ?」ということだったんですよね。「そのくらい陶芸に熱意があるでしょう?いい作品を作ることだけを目指しているでしょう?うち、分かるよ、支えるよ」というような喜美子の感覚が「いい作品できひん今は 東京の出展もやめたらええ」になった。

でも八郎さんは「もう自分にはここまでだ」という感覚をあの頃にはもう持っていた。でも喜美子は、まさか陶芸家としてもっといい作品を作ることを八郎さんが諦めるなんて予想もしなかった。要するに、陶芸家の「私は他の何を捨ててもこういう作品を作りたいんだ!!」という熱いまっすぐな(狂った)感覚をあの頃から喜美子の方が持っていた、そして「八郎さんも同じだと喜美子は思いこんでいた」ということだったと思います。

真面目だった喜美子が急に変わったかというと…私はそうは思っていません。陶芸に対して狂いはしましたが。家族や友人知人を大事にするし 言葉づかいが変わったわけでもないし。もともと大久保さんに家事を習う時も「3年は帰らん」と言い切ったり、絵付けの弟子入りをしてからは普段の仕事をやりながら必死に勉強をしたり、こうと決めたことは貫こうとするタイプでした。「夫の僕が言うこと、頼んでることを聞けへんのか」と言われてしまうことだけは我慢できなかった、その枠の中にいられなかった、そういうことかな…と思います。

最後です

ああ……ほんと長々書いちゃってごめんなさい…。読者さんにも「どちらかというと八郎に共感する」とか「ちょっとついていけないかも」という感想を持たれている方がいらっしゃいました。その感覚も分かります!!昨日も書きましたが、私も別に「喜美子に共感して、さすが芸術家!芸術家は人に理解されませんよね~!」なんて思ってるわけでもなく、どちらの味方にもなれない・共感しきれない むずかしさを感じているような感覚です。「狂ってないとできない」と何度か書いていますが、この特殊な部分に気づかないと喜美子のことが理解できないと思うし、気付いたとしても あまりにぶっとんでいて共感はできません。なので、ずっと「喜美子を応援してきた」という視聴者には「わからん、ついていけない」という展開になりましたよね。その感想は私も理解できます。

私としては、(私は凡人ですので)共感はできないのだけど、ここに至るために いろんなものを時間をかけて描いてきたのか…すごいな…えぐいなと感心しているところもありますね。ドラマとして。

ああ…ほんとに長々書いちゃってごめんなさい…めっちゃ時間かかっちゃった…(;´∀`)

昨日の記事も拍手やメッセージをありがとうございました。個別お返事はできませんが、全部楽しく読ませていただきました。ありがとうございます。

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