朝ドラ おちょやん第63話64話感想 ほんまのお母ちゃんのくせに

おちょやん 水曜日と本日分の感想です。

63話

お父ちゃんがお母ちゃんを捨てたのではなく、お母ちゃんが一平とお父ちゃんを捨てたのだった。一平はそれを目撃したのに、記憶から消去して、父を憎んで生きていた。

なんとも衝撃の展開でしたね……。もしかしたらそういう可能性も…と思いながらドラマを見ていましたが、だとしても何かもっと一平が救われる展開やセリフがあるだろうと思っていましたが、千代一家と連動するように、一平も救われない内容でした…。

その事実を思い出した瞬間の一平の表情が幼い頃の一平に見えて、まるで本当に同一人物かのように感じました…。(NHKさんのキャスティング力が怖いくらいです)

一平と千代、母親がいないもの同士の2人。とくにここ最近は「母親」の存在が、「無償の愛」「子の幸せを願うもの」だと、母親=聖母のような「理想の母親像」が描かれていましたが、それをひっくり返す展開でしたよねぇ…。

けど、一平の母「夕さん」の表情 等々を見た我々視聴者には、夕さんが一平を憎く思っていない・今も愛していることが伝わっています。あの夕さんの苦悶の表情は見ていてつらかったです…。

夕さんが初登場した 旅館の前のシーン。そこで、お客さんを見送った夕さんとお客さんの会話は「楽しませてもろた」「次はもっとええ子を用意しておきますので」というようなものでした。要するに、夕さんが女将をやっている旅館は、普通の観光客相手の旅館ではなく、そういういかがわしいことをやっている旅館、ということ…ですよね…。

カフェーキネマで常連客から「夕凪」の情報を聞いたときにも、その伏線がありました。「芸子あそびなんて贅沢できひんから、こういう店(キネマ)に来てる」と言っていた常連客・原一平(たしかに面白い名前…笑)が「行ったことがある旅館」であること。かぎりなく母親のだと思われる情報に沸き立つ千代や皆のそばで、ちょっとバツが悪そうにしている原一平氏。原氏は、そういう旅館だと分かっているから、話はしたもののチョット申し訳ないような顔をしたんでしょうね。

自分が子を捨てたことは事実。そして、今 子に誇れる仕事をしていない。だから夕さんは、とてもきつい言葉で一平を突き放したんでしょう。

夕さんの心に一平がいつもいたことは、すぐに一平だと気づいたことにも表れていました。

この「すぐに一平に気づいた」という展開は、千代が「姉やん」と呼ばれるまでヨシヲに気づけなかった事実と、連動して描かれていたと思います。千代がいくらヨシヲを心の支えとして毎日思って生きていても、自分が捨てた息子を思う母のように一目で気づけなかった。こんな展開の中でも、血をわけた母と子には深い結びつきがあるというのがなんだか皮肉だなと感じました。

思い出したくない記憶の存在に気づいた一平が大笑いしたシーンは、ずいぶん前、天海天海の葬儀で すがのや万太郎が言い放った「この世は笑える喜劇と笑えん喜劇のよじれ合い」というセリフを思い出しました。今回のは笑えん喜劇やと思うんですけど、笑うしかない一平が悲しい。

あと、夕さんが一平をどこまでもきつく突き放したのは、一緒についてきた千代の存在もあったんじゃないかな。夕さんが一平を思うたびに「息子のそばに自分のことのように怒って泣いてくれる子がいる」と思えるのは、千代がヨシヲにビー玉を渡した気持ちと似てるように思いました。

その他。ツイッターで他の方の感想にあった内容なのですが、「千代がテルヲに売られかけたのは、まさに夕さんがやっているような旅館だったのでは」ということも。言われてみればそうですよね。あと、京都の置屋?お茶屋?の女将さんが一平の顔を見て言った「あんたに似た顔ならえらいべっぴんさんやったやろな。旦さんらがきっと放っておかはらへんかったんちゃうやろか」というセリフも、実際そうだった……という伏線にもなっていました。なんだか、この63話は、細かいいろんな伏線がちりばめられていました。

この回は、あさイチのゲストと坂下千里子さんが大泣きしてしまって、番組が始まったのにスタジオの隅にひっこんでメイクを直すという、有働さんのつけまつげ以来のびっくり受けもありました(笑)

坂下さんがそうなってしまっても仕方ないほどの衝撃の回でした…。でも同時に私は、テルヲやヨシヲに続き、こういう容赦ないことを真剣に描く本作はやっぱりすごいな…命かけてやってるって感じがするな…とすごく感心しました。感想も軽い気持ちで書けない展開が続きますし、出演されている役者さんも役者冥利に尽きると思っておられるのでは…と勝手に想像しちゃったり。

前にも書きましたが、松竹新喜劇への敬意もドラマ全体にあふれていると思います。(と言っても、私は松竹新喜劇を見たことがないので、想像の域を出ませんが…という注記はその都度付け加えておきます。ただの喜劇ではなく、人生の悲しみもしっかり描いた上での「喜劇」だと理解しています)

64話

続いて64話。一平が千代の頬に触れるシーンは、普通に女としてキュンとしてしまいました(笑)こ、こんなんされたい!!(笑)

千さんとお家さんだけは、「真実」を知っていたんですね。千さんと初代天海氏の信頼関係は、想像以上やな…。

お家さんは、今回も見せ場が多かった…。めちゃくちゃいい役どころですよね。お家さん役の方は「べっぴんさん」にも出演されていましたが、脇役という感じでした。けど本作においては、そりゃ役どころとしては脇役なんだけど物語上の存在感が大きくて、その役どころと役者さんがとてもハマっていて、見ていてすごく心地が良くて大好きです。女将業は娘に任せて一線を退いたものの、影から道頓堀のいろんなことを包み込むように見守っているお家さんがすごく素敵です。

一平…お家さんの手作りごはん食べてあげて……泣。明日は食べてくれますように…!!

お家さんは回想シーンでも、初代天海氏に差し入れをバーンってされてた…。あれは、自分がお家さんの気持ちを踏みにじる態度をとることで、一平がお家さんに気をつかって差し入れを食べてくれれば…と思ったのかな?その前に、一平が何も食べてないっていうやりとりが少しあったので…。

天海氏は、登場してすぐ人柄も何も理解できないうちに急死してしまいましたが、13週に来てまた彼の知られざる部分が描かれるとは…ほんとに興味深い展開してくるドラマやなぁと思います。天海氏も…めちゃくちゃつらかったんですね…。

お家さんが千代に話した「天海が役者を辞めなかった理由」。途中で止まった回想シーン。めちゃくちゃ気になります。おそらく、一平は自分の顔にお母ちゃんの面影を見出そうとして化粧でもしたのかな?と予想中。(この予想が当たるとしたら、京都の置屋の女将の「あんたに似た顔なら~~」のセリフがこれまた伏線になってる、と思う)

天海氏が役者を辞めなかった理由、早く知りたい…。めちゃくちゃ明日が待ち遠しいです…。

そういえば、千さんが真実を知っていた…ということは、一平の脚本に吐き捨てた「お前に親の何がわかるんじゃ」という言葉の受け取り方も変わってきますね。母親のことも父親のことも、お前が思ってることは真実とちゃうぞ…という意味が含まれていたはず…ということになります。千さん、誰にも話さず色々一人で抱えているんでしょうね…。だから千さんは一人で酒を飲む…。かつては天海氏を並んで座った席で…。なんか千さんの背中がめちゃくちゃかっこよく見えてきました。

おわりに

53話の感想(みつえちゃんが結婚する週の半ば)で私が軽く予想したその後の展開は外れたんですけど、今週の夕さんエピソードは その時の自分の予想が遠からずな展開になっていたように感じました。→参考:53話感想

千代と一平、母親がいない者同士な2人。母親がいないからこそ、理想の母親像を無意識に作り上げてしまう。一平はラストで脚本「母に捧ぐる記」を燃やしました。「母の無償の愛を描きたい」と話していた脚本でしたが、そうか…タイトル通り、記憶の中に母に届けたい一平の気持ち…の本やったんやなぁ…。千代が役者になってヨシヲに見つけてもらいたいと思ったように、一平は母に「こんな風に母を想ってくれて…」と感動してもらいたかったのかも…。

「母」をこうやって描くのも、いずれ千代が「大阪のお母さん」として広く愛される存在になることへの布石なのかなと思います。自分の記憶に残る「母」、自分の人生で見聞きした「母」という存在を、千代はどんなものと捉えて、そう呼ばれることをどう感じて生きるのか。そのあたりも最終的な見どころなのかなぁなんて思う、63話・64話でした。

今日はちょっと長くなってしまいました。最後まで読んでくださってありがとうございました。前回の記事へも、拍手やメッセージをありがとうございました!お返事は時間の都合で省略させていただいていますが(ごめんなさい)、すべて楽しく読ませていただいてます。

それでは今日はこの辺で。では(^^)/

スポンサーリンク
スポンサーリンク大
スポンサーリンク大

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加